Novel

As you please - Dearka × Miriallia

「お前自分が言ってること分かってるのか!?」
 隅の方の席に通してもらえるよう、事前予約を入れた際に一言添えておいたのは、こういう展開になることを予想してたから。
「声が大きいわよ……もう、皆見てるじゃない」
 怒りを露わに声を荒げる彼とは対照的にミリアリアはひどく落ち着いていた。
 静かで落ち着いた雰囲気漂うレストランの中で、いきなり怒声が聞こえてくれば誰もがそちらに視線を向けるのは至極普通な行動。それでも自分が、自分達が、否応無しに注目を集めてしまうこととなっても、感情の昂ぶりに身を任せて大声を出したのは、それだけディアッカが真剣に怒っているからだという何よりの証だった。
 周囲の視線を感じ気まずく思ったのか、小声で「悪い」と謝りつつも、呆れとも怒りともつかないような、そんな顔を向けてくるディアッカ。
「……なんでそんなに落ち着いてるんだよ」
「そっちこそなんでそんなに怒ってるのよ」
「なっ……」
 我ながらあまりにドライな反応だったな、と口にしてから後悔する。彼の表情がまた怒りに歪むのを見たから尚の事。すぐにまた怒声が飛んでくるかと思いきや、ディアッカは苛立った顔のまま、ただ握った拳を震わせているだけだった。テーブルが少し揺れた気がしたのは、自分の気のせいではないだろう。
「心配してくれるのは有難いわ。それは本当に感謝してるし、ディアッカの気持ちも分かる」
「だったらどうして」
「じゃあなんでアンタは未だ軍にいるの」
「……」
 そんなミリアリアの問いかけに、ディアッカはすぐには答えなかった。

***

 ユニウス条約が締結されたものの、世界各所での小さな紛争は絶えず、また戦後の復興活動に多大なる時間を要することは誰の目にも明らかなことだった。三隻同盟に属していたディアッカに、戦後与えられた選択肢は、民間人としてオーブに身を寄せるか、或いはザフトに復隊するかのどちらかであった。このような選択肢が自分に与えられた事自体、ディアッカは驚いていたが、寧ろこういった選択肢があることは彼にとっては枷にしかならなかったとも言える。
 オーブに身を寄せるということは、祖国との、家族との決別に等しき行為なのではないかと思うと、あまりに怖くなった。常に死と隣り合わせの戦場に身を置いていた時は、恐怖など抱いたことはほとんど無かったのに。だが逆にプラントを、ザフトを選ぶということは、再び戦場に赴くことを余儀なくされる運命を受け入れるということだ。それだけなら今までと変わらない、それだけなら構わなかった。だが、自分は良くてもミリアリアはどう思うだろうかと、その事を考えだした途端あらゆる迷いがディアッカの心を締め付けた。

「だから、正直迷ってる」
 結局、彼一人で決断はできなかった。
 だからといって、ミリアリアに直接話したところで、彼女を巻き込むことで解決するなどという考えが如何に浅はかであるかなど、ディアッカも自覚していた。ナチュラルのそれに遥かに勝るコーディネーターの頭脳とやらも、こういった場面においては役に立たない。それに無性に腹が立ったが、どうすることも出来ないのが現状。目の前にいる少女の目には、さぞ情けなく映ってるであろう己の姿を想像しては、項垂れそうになる。
 でも、ミリアリアの口から発せられた言葉は、哀れみでも蔑みでも怒りでもなく、ごくシンプルなものだった。
「一つ聞いていい?」
「一つと言わず幾つでもどうぞ?」
「私とプラント、どっちが大事なの?」
 シンプルすぎて、ストレートすぎて清々しさを覚えると同時に、この上無く反応に困る問いかけだった。
「そんなの……」
 決められるはずがない。決められないから迷っているのだ。
「決められないから迷ってるんだよね、それって」
 ディアッカの心の声を代弁するかのように、ミリアリアは続ける。
「どっちも大事に思ってるから、だから決められないんだよね」
「ああそうだよ、俺にとってはどっちも大事なんだよ」
「そっか、良かった」
「え……?」
 思わず自分の耳を疑った。しかし『良かった』と言った彼女は、とても穏やかな笑みを浮かべていて、それが彼女の本心であると確信した。確信はしたが同時に混乱した。それが表情にでも出ていたのだろうか、ミリアリアは笑いながら言った。
「ああ、別に迷ってることそのものが良いってわけじゃないわ。ただ、自分の故郷と同じぐらい、私のことを想ってくれてるってことでしょ?」
 それが嬉しいの、と彼女の笑顔が語っている。
「ミリィ、お前……」
「だからね……すきにして、いいよ」
 笑顔の中に見え隠れする、どことなく悲しげな感情が何かを訴えてきていた。以前の彼女であれば――帰らぬ人となったと知った後でもひたすらに彼の名を呼び続けていた頃の、か弱いナチュラルの女の子だった彼女であれば――迷わずディアッカを引き止めていただろう。でも今目の前にいる彼女は、そんな事は口にしないだろう。そう、口では言わない。
「本当に良いのか?」
「私は大丈夫よ。それに、アンタがザフトに戻っても、会えなくなるわけじゃないでしょ?」
「それは勿論!休暇がないわけじゃないし、それにもう戦争は終わったんだし……」
 そこまで言って思わず自分を殴りたくなった。戦争という言葉を口にした瞬間、ほんの一瞬だけだったが、ミリアリアの表情に陰りが見えた。
 ――自分から心配させるようなこと言ってどうするんだ、俺は!
 己の失言に自己嫌悪を覚えつつ、ミリアリアの方を見やると、先刻とは一転して真剣な表情だった。
「ねえ、ディアッカ」
「ああ……」
 次に彼女の口からどんな言葉が発せられるのか、考え出したら不安ばかりが募った。
「……ザフトに戻るのは別に良いの。先の大戦を経験しているからこそ、ディアッカにしか出来ないこととかもあると思うわ」
「ああ」
「だからザフトに戻るべきだって、ディアッカが心の底から思っているなら、私は止めない」
 心なしか、ミリアリアの声が震えているような気がした。涙こそ零れ落ちてはいない。でも彼女の目が少し潤んでいるように見えた。
「でも一つだけ約束して欲しいことがあるの」
「ミリィ?」
「絶対に、死なないで」
 短い言葉ながらも、あまりにも重い想いが詰まったその言葉に、ディアッカは思わず掛ける言葉を失った。
「軍人である以上、戦うななんてことは言わないわ。でも、毎回絶対に生きて戻って来るって約束して」
 そう続けたミリアリアを、ディアッカはそっと抱き寄せて言った。
「大丈夫だよ、ミリィ」
「えっ……ディアッカ?」
 突然ディアッカとの距離が近づいて驚くミリアリア。
「大丈夫、俺は帰ってくるから」
 かつて戦場で恋人を失った彼女に、二度とそんな思いはさせまいと、そんな想いを抱きながらディアッカは彼女を抱きしめた。

***

 付き合い始めてまだ一年程度。
 それでも互いのことはある程度理解していると思い、またそうであると願っているはずだと信じていた。
 ザフトに戻り、イザークの副官として部隊指揮の補佐役を担うこととなったディアッカであったが、戦場に赴く回数は決して少なくはなかった。隊長のイザークがそもそも後方で指揮をすると言うよりも、先陣を切って部隊を率いるスタイルをとっているからか、その副官であるディアッカも彼のそばで戦闘に参加することが多い。
 それでも停戦直後に交わした約束を違えることなく、ディアッカは毎回必ずミリアリアの元へ戻って来た。その度、彼女が心底嬉しそうな顔を見せてくることに、ディアッカは些か罪悪感を覚えていた。確かに約束はしたし、それを違えたことは今まで一度もなかった。でも、結局戦場というのは死と隣り合わせの場所なのだ。それは戦場に身を置いたことのあるミリアリアも、一番嫌な方法で実感している。だからこそ、ディアッカと顔を合わせる度にああいった表情を見せてくるのだと分かっていた。会えることの嬉しさ以上に、彼が生還してきたことへの安心感が、ミリアリアの顔に表れていた。
 だから。

 珍しくミリアリアの方から食事の誘いがあり、言われるがまま彼女が指定してきたレストランに足を運んだが、どうも普段の彼女とは少し違う様子がしてならなかった。
「ねえ、ディアッカ」
「ん?」
 遠慮がちに声を掛けてくるミリアリアに、ディアッカは視線で続けるよう促した。
「あのさ、私戦場カメラマンになろうと思う」
「……はぁ?」
 あまりに唐突な発言に、ディアッカは思わず言葉を失った。
「だから、戦場カメラマンになろうと思うの」
「いや、最初ので聞こえたけどそういうことじゃなくて」
「本気だから、私」
「ちょっと待て、いきなりなんでそういう話になるんだよ」
 あまりに急な話に、ディアッカの声に焦りが見えた。
「ずっと前から考えてた。自分が今後どうして行きたいのか……」
「ミリィ……」
「幾ら停戦したからって、まだ戦争が続いているところなんて山ほどある。でもテレビじゃそんなのは伝わってこない」
 ヘリオポリスでの学生時代。突然戦闘に巻き込まれるまで、戦争は自分にとっては遠い場所で起こっている、自分とはさほど縁のない話なのだとしか思えていなかった。自分から調べようともしなかった。だからテレビで放送されているものだけを、ただ他人事のごとく静観していただけ。そんな自分の価値観が変わったのはやはりアークエンジェルでの経験だった。
「伝える方法はあるのに、誰も伝えようとしないのよ。伝える人間が居なかったら、どんなに興味を持っている人が居ようとも情報は伝わらない」
「それを伝えるのが自分の役目だとでも言いたいのか?」
「そうよ、悪い?」
「お前自分が言ってること分かってるのか!?」
 真剣に怒っているディアッカの姿を見たのは、久しぶりだったかもしれない。怒っているのは同時に、彼が自分の身を案じてくれている何よりの証拠だと、それが分からないミリアリアではなかった。それでも。
「声が大きいわよ……もう、皆見てるじゃない」
 あくまで冷静に、自分の意志を曲げない姿勢を貫くことを選んだ。対するディアッカは表情を曇らせつつ、絞りだすような声で言った。
「……なんでそんなに落ち着いてるんだよ」
「そっちこそなんでそんなに怒ってるのよ」
「なっ……」
「心配してくれるのは有難いわ。それは本当に感謝してるし、ディアッカの気持ちも分かる」
 そう、もしもミリアリアが戦場カメラマンの道を歩むこととなれば、今までミリアリアが抱えてきた不安を、ディアッカが与えてきた不安を、今度はディアッカ自身が背負うことになるのだと、そんな当たり前の事は理解していた。だからディアッカが次に口にするであろう言葉も容易に想像がついた。
「だったらどうして」
「じゃあなんでアンタは未だ軍にいるの」
「……」
 黙り込むディアッカを見て、ミリアリアは少々の罪悪感を抱いた。彼の答えなど、想いなど、聞かずとも分かるはずなのに。停戦直後のディアッカの決断。交わした約束。目の前の彼の返答を待たずとも、脳裏に次々と浮かぶディアッカの言葉が、自分が投げた問い掛けへの答えとして語りかけてくる。
「……それってさ、今更じゃないか?」
 漸く口を開いたディアッカの声には、呆れなのか諦めなのか、様々な感情が入り交じっていた。
「そうね。分かってる」
「だったら聞く意味あった?」
「うん、ゴメン」
「それってさ、何に対する『ゴメン』なの?」
「……色々、だと思う」
 当たり前のことを聞いてしまったこと。反対されるのを分かっていながらも、自分の想いを押し通そうとしたこと。彼を怒らせたこと。本当に『色々』なことに対しての謝罪だった。
「でもさ、ミリィはもう決めたんだよな?」
「え」
「だから、その戦場カメラマンがどうのってヤツ。ミリィはもう決めたんだよな?」
 ――俺の時と違って、迷ってなんか無いんだよな。
「……うん」
 そう、あくまで自分は意思表明をしたかっただけ。それと同時に彼の理解を求めたかった。その願いが叶うかどうかは別として。
「だったらさ……すきにして、いいぜ」
 返って来たのは、以前自分が彼に向けていったのと同じ言葉。望んでいた言葉なのに、いざ口にされると信じられなくなる。そんな彼女の気持ちを察したのか、ディアッカは苦笑いを浮かべて続けた。
「その代わり約束。無事に戻ってこいよ、必ず」
「……うん」
 約束までもが同じだった。それは想いが同じだからこその必然。それがまた嬉しくてたまらなかった。
「ホントに分かってんのか?約束破ったら俺泣くぜ?」
「もう……」
 若干砕けた調子で、オマケにウィンクまで飛ばしてきた。すっかりいつもと同じ調子に戻っているディアッカを見やりつつ、ミリアリアはサーバーに声をかけてチェックを頼んだ。
「ここ、私が出すから先に出てて」
「え、いや……」
「今日は何か重い話に付きあわせちゃったし、私持ちで良いわよ」
「だからって素直に奢られるかっての、せめて割り勘だろ!」
「えっ、ちょっと!」
 そう言って伝票を掴んで立ち上がるディアッカをミリアリアは慌てて追いかけた。

 会計を済ませレストランを出ると、外はすっかり暗くなっていた。
 普段はプラントにいるディアッカは、仕事の合間を縫ってオーブへと足を運びミリアリアと会っているが、彼女が戦場カメラマンとしての仕事を始めれば、こういって二人で過ごせる時間はより少なくなるだろう。それを思うと、そこはかとなく寂しくなった。
「ホント、気をつけてくれよ……」
 口調はいつも通りだったが浮かべた表情には憂いが見えた。
「それってお互い様じゃない。私はせいぜい近くで写真を撮るだけだけど、ディアッカはそうじゃないでしょ」
「それは……」
「殺らなきゃ殺られるとか、そういうご時世でしょ、まだ。だから……」
 そこで言葉は途切れた。唇への柔らかい感触は、これ以上言葉を紡ぐことを防ぎ、そして背中に回された力強い両腕が彼女をより近く、彼の鼓動を感じられる距離まで引き寄せる。一瞬目を見開いたが、次の瞬間そっと目を閉じた。少し苦しくなるぐらい強く抱き寄せられていたが、元より抵抗をするつもりなどなかった。次に二人で会えるのがいつになるか分からないのだから尚の事。
 長い抱擁から解き放たれた途端、ミリアリアは苦笑混じりに言った。
「ホント、いっつも急なんだから……心の準備とか少しはさせて欲しいわ」
「嫌だったか?」
「そういう聞き方するの?」
 ――聞かなくても分かってるくせに。
「なあミリィ」
「うん?」
「死ぬなよ、頼むから」
 今日何度目かの切実な願い。その言葉に込められた想いを噛み締めながら、ミリアリアは応えた。
「そっちも無事で居て、これからもずっと」

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